こんにちは。ジンです。
今年のゴールデンウィークは京都へ行きました。
京都と言えば金閣寺、銀閣寺、清水寺等の有名な神社仏閣がたくさんありますが、今回は、嵐山をメインの目的地としました。その理由は、周恩来が日本留学時に書いた漢詩「雨中嵐山」の詩境を体験したかったからです。(周恩来は、中日外交の正常化のために重大な貢献をされ、中国の知的財産権の保護および知的財産法の発展のために基礎を打ち立てた方です。)
偶然かもしれませんが、その日も雨でした。嵐山に着いたら、目の前に現れたのは、山の下に川が流れている景色でした。絶景とは言えないが、小ぬか雨の中で、山と川の境界がぼやけ、朦朧な山と川の組み合わせでした。
川沿いの道に沿って、しばらく歩いたら、「雨中嵐山」が書かれた石が見えてきました。
原文:
雨中二次遊嵐山,兩岸蒼松,夾着幾株櫻。
到盡處突見一山高,流出泉水綠如許,繞石照人。
瀟瀟雨,霧濛濃,一綫陽光穿雲出,愈見嬌妍。
人間的萬象眞理,愈求愈模糊,模糊中偶然見着一點光明,眞愈覺嬌妍。
訳文:
雨中に、再度、嵐山を遊覧した。
両岸の蒼い松は、幾本かの桜を夾(はさ)んでいる。
突き当たりの處に突然、一つの山が大きく現れ、澄んだ清い水の流れが石を繞(めぐ)り、その水のきらめきが人を照らしている。
しとしとと静かに降る雨は、霧となりぼんやりと霞みを増す。
一条の陽光が雲間から射し込み、ますますあでやかさが現われる。
人の世のあらゆる事象や眞理は、追求すればするほど、ぼんやりとしてくる。
ぼんやりとしたその中に、一つの太陽光を見いだした時、真の美しさが感じられる。
雨の中の嵐山にピッタリ合う詩でした。
周恩来は、詩の中で世間の真理が「模糊」(ぼんやりとしたさま)だと言っていますが、この「模糊」こそ、中日文化の交点であり、中日文化の精髄ではないかと考えました。しかしながら、知的財産(特許、実用新案、意匠、商標、著作権)の世界では、互いの利益のために、「模糊」が禁句となり、明確なラインが求められています。内(自)と外(他)をはっきりするためであり、侵害であるか否かをはっきり判断するためです。遠い将来かもしれませんが、内と外との区別がない一つの世界になったときは、明確なラインが要らなくなり、内外の差別もなくなるでしょう。たいへん有意義なゴールデンウィークでした。